私は、この地に生を受け、高等学校を卒業後、大学は最も進んだ技術を学ぶため東京を選びました。
 しかし、高松と違い東京は地震が多く、鉄道等も地震の度に緊急停止があり、不安でした。そんな事もあり、就職は東京を離れようと思い、他府県を希望しました。
 自分の技術を生かせる企業を探した結果、名古屋の電機メーカーに就職が決まり、最初の赴任地は大阪でした。
 定年までの37年間、大阪の各部署で勤務し、1997年から4年間は、名古屋の本社勤務を経て、再び大阪に戻りました。
 自分の希望は、早いうちに高松へ帰って実家の土地活用を考えたいと思っていました。
 定年となり、退職後この高松へ帰ってくることが出来ました。

 高松に帰ってきた時点で、私の実家は市街地計画の中にあり、土地の3割を道路等に提供した結果、現在の広さとなりました。

 先祖から受け継いだ土地なので、売ることなく出来る限り子孫に残したいという思いと、子・孫と引き継ぐ中で、出来る限り負担が少ない方法を検討した結果、資産管理の会社を作るに至りました。

 暫くは、先祖から受け継いだ土地の上に建設する建物の管理業務を実施しつつ、未来に向かって存続できる企業にしたいと考えています。

 将来的には、個人資産を会社の資産に移行し、統合的に資産を活用し、社会に必要とされる企業を目指していきたいと考えています。